テンジン・ケンツェのブログ

南インドのチベット寺院での日々。

ネパール旅行2

1月26日
この日は朝からパタンへ。まずはゴールデンテンプルの裏のシャンカタ寺院へ参拝。小さなお堂だが立派な不動明王が安置されていた。その脇には珍しい姿の4体の仏像があり、お寺の方に聞いてみるとヨーギニーとのこと。しかしヒゲが生えているようにも見える…。そしてゴールデンテンプルに参拝。本尊はお釈迦様、中庭のお堂にはスワヤンブナート仏塔のミニチュアを安置するお堂があり、そのほかに金剛薩埵堂、不空羂索堂、ターラー堂、文殊堂などがある。金剛薩埵堂では八千頌般若経の読誦が行われていた。

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ゴールデンテンプル(スヴァルナ・ヴァルナ・マハービハーラ)

次に向かったのはクンベーシュヴァラ寺院。この寺院はシヴァ神を本尊としてリンガを安置する本堂の他、ウルマーンタ・バイラヴァやバガラムキー女神のお堂などが立ち並ぶ。特にバガラムキーは霊験あらたかとされ参拝者の列が絶えない。
その後、パタンのダルバール(王宮広場)へ出て、ミュージアムへ。ここも改装中で何度も建物を出たり入ったり、階段を登ったり降りたりすることになった。展示物は以前とさほど変わっていないように思う。その次はマハーボーダ寺院へ。この寺院はブッダガヤーのマハーボディ寺院を模して作られたインド風の建築。残念ながらこちらも修復途中のようで足場が組まれた状態であった。その他、タンガ・バハーやラト・マチェンドラナート寺院に参拝していたらいい時間になったのでホテルに戻る。 

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パタン王宮前。建物の多くは未だ修復中。


1月27日
この日はダッキンカーリー寺院での生贄の儀式を見る予定にしていたが、朝に後輩が体調不良のため今日は休んでおくというので予定を変更。買い物と近隣の寺院をいくつか回った。前日と同じくパタン周辺の店でカパーラと頼まれもの七器を探す。カパーラは妥協できるレベルのものが見つかったが七器はみつからず。またこの日は土曜日でネパールは公休日のため閉まっている店も多かったので買い物は早々に切り上げ、パタン周辺のアショーカ・ストゥーパ、チャームンダー寺院、バトゥカ・バイラヴァ寺院を等を回った。チャームンダーは病身の老婆の姿をした女神で、病魔や死の女神とされる一方、人々の病を一身に引き受けてくれる代受苦の女神ともされ、仏教徒からもヒンドゥー教徒からも崇拝されている。この寺院の境内にはヒンドゥー神に混じってヴァジュラヴァーラーヒー女神と思わしき石像もあり大変興味深い。バトゥカ・バイラヴァ寺院はその名の通りバイラヴァ神を祀る寺院で、この日は丁度ヤギを生贄に捧げる儀式が行われていた。カトマンドゥはバイラヴァ信仰が盛んな土地であり、8バイラヴァや108バイラヴァなどと言われ、多くのバイラヴァ寺院が存在する。
この日の最後はグヒイェーシュヴァリー寺院へ。グヒイェーシュヴァリー寺院というと通常はパシュパティナート寺院の近くにあるものを指すことが多いが、そちらはヒンドゥー教徒以外は入れない。しかし仏教徒はこのグヒイェーシュヴァリーもヴァジュラヨーギニーとして尊崇しているようだ。今回行った方の寺院はは内部に入ることができた。本尊は蓮台の上に置かれた銀色の瓶、台座の下は深い穴になっており女神の浄土と繋がっているらしい。境内では結婚の儀式と護摩が行われており、尋ねてみるとヒンドゥー教徒とのこと。
この日は早めにホテルに戻り、休憩。夕方は知人の仏画店の主人と中華料理を食べに行った。

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グヒイェーシュヴァリー寺院。屋根のヘビの装飾はパシュパティナートのグヒイェーシュヴァリー寺院と同じつくり。

この他の写真はFBのアルバムを御覧ください。(一枚だけヤギの流血写真があります。見えにくい角度の写真を選びましたが苦手な方はご注意ください。)

ネパール旅行1

1月24日
実はブッダガヤー滞在中に、私と同じように学生ビザでダラムサラに滞在しているSさんから「FRO(外国人登録)の許可がないと出国できないのではないか」という話を聞き、心配していたのだが特になにもなくすんなり出国審査を通過し一安心。お昼過ぎの便でカトマンドゥに飛び、いつもお願いしているタクシーの運転手さんに迎えに来てもらい、前日にネパール入りしていた後輩とも合流。
思ったよりホテル到着が早かったのでホテルから近いスワヤンブナート仏塔とビジェーシュヴァリー寺院へ参拝に行く。ネパールは実に7年ぶり、震災以後はじめての訪問だが思った以上に復興は進んでおらず、多くの寺院が未だ傷ついたままの姿だった。ビジェーシュヴァリー寺院もトタンや木材で仮修復された状態で、正門は閉ざされ脇から入るようになっていた。この寺院はヴァジュラヨーギニー女神を祀る寺院で、御本尊は左足を大きく上げ空を飛ぶ姿をしていることから特別にアーカーシャヨーギニーと呼ばれる。カトマンドゥ盆地は文殊菩薩が切り開いた土地とされているが、ヴァジュラヨーギニーは文殊菩薩が来る前からこの地に住んでいたといわれ、仏教徒からもヒンドゥー教徒からも尊崇されている。
その後、同じ丘にあるスワヤンブナート仏塔へ参拝。ここも地震の爪痕がまだはっきりと残っている。大塔脇の二基の塔は崩れたままであり、少し奥にあるシャーンティプル堂もこころなしか傾いていた。昔からモンキーテンプルというくらいサルが居たところなのだが、以前にも増してサルが増えたように思う。サルに注意しつつ大塔を右繞し、脇のハーリーティー鬼子母神)堂に参拝。いつも参拝者で混雑しているのだがこの日は人が少なく、御本尊を間近でみることができた。シャーンティプル堂は残念ながら開いていなかった。(開いていたとしても奥の開かずの間への扉があるだけで、入ることの出来る前室には何もないのだが…)このお堂の本尊はチャクラサンヴァラだといわれているので、お堂の前で(後輩をほったらかして)成就法を行う。
日が傾いてきたころホテルへ戻り、この日は旅行者の集まるタメル地区のFire&Iceという有名なイタリア料理屋さんで食事。日本でもなかなかないくらい美味しいお店。久しぶりにピザとパスタをいただき、大変満足してこの日は終了。

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ビジェーシュヴァリー寺院。二重屋根の下に御本尊が安置されている。

1月25日
朝9時過ぎにホテルを出発しまずはボーダナート仏塔へ。ここはしばらく前にニュースにもなっていたとおり上部の金属部分は綺麗に修復されていた。しかし、この日は表面に塗料を塗る工事をしてたため塔の中ほどから上へは登れず。大塔とアジマ女神(ハーリーティー)のお堂に参拝後は周囲の店で買物。本屋でペチャ(チベット式のお経)と本をいくつか、衣屋さんでガクパ(在家密教行者)の使うセン(ショール)を購入。その後、周囲の寺院を少し見て回り、高名なチュー行者ワンドゥ師のお寺も覗いてみたが一般参拝はできない様だった。昼食にバフモモ(水牛肉の蒸し餃子)をいただき、サンクーの町へ向かう。
サンクーの目的地はヴァジュラヨーギニー寺院。この寺院も前日のビジェーシュヴァリー寺院と同じくヴァジュラヨーギニーを祀る寺院だが、ここの御本尊は剣(カドガ)を携えた姿をしているためカドガヨーギニーと呼ばれる。山道を登っていき寺院に辿り着くと、なんと本堂がない。解体修理中らしく完全に工事現場になっており、基壇にベニヤ板の仮堂が作られていた。最初、仮堂は扉が閉まっていたのだが、後から団体参拝の方々がやってきたため開扉され、便乗して御本尊に拝謁することができた。この本堂の隣にはウグラターラー女神のお堂があり、そちらはつっかえ棒がされているものの以前のままだった。境内の岩に掘られた瞑想窟や、お祭りのとき神輿で街に出る御本尊の御前立にもお参りし、山を下る。その後、サンクーの町のスワスターニーマーター寺院とマーダヴァナーラーヤナ寺院を見学し、ホテルに戻った。

尚、この日の他の写真はFBのアルバムにに投稿してあります。

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ドガヨーギニー寺院。手前の赤い仮堂が本堂。奥の建物がウグラターラー堂。

ダライ・ラマ法王御法話・灌頂@ブッダガヤ2

1月21日
一尊ヤマーンタカの灌頂。この日も午前午後の予定だったが時間前倒しで始まり午前中のみで終了した。前回の記事にも書いたが、この度の灌頂は一般参加者も対象に授けられる灌頂にしては毎日の誓約が長めである。どれを受けても六座グルヨーガは必須、それに加えて十三尊を受けたならばミクツェマ部分108回を含むガンデンラギャマ、一尊を受けたならば広略いずれかの一尊ヤマーンタカ成就法が義務付けられる。これをすべて行うと1時間近くかかるので、なかなか普通に仕事をしている者には厳しそうだ。私は今、勉強以外することのない生活をしているので誓約事項以外にも色々付け加えて長い日では合計で2時間ほどの勤行をしているが留学が終わり日本に戻ってふたたび働き始めたならば定められた最低限の行でないと難しいかもしれない。

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マハーボーディ境内

1月22日
この日と翌日は『金剛般若経』の講伝。様々な事情で直前まで公にされていなかった。遅めに会場に着いたら席が変わっていてキョロキョロしていたところ、Iさんが見つけてくださって無事みんなのいるところへ。なんと会場のど真ん中である。どうも法話をリクエストした団体が壇上の席へ移ったため、席が空いたらしい。法話は仏教一般に関するお話からはじまり、お経の内容に入ったあたりでこの日は終了。
その後、この日で最終日の方もいたのでみんなで昼食。このブッダガヤ滞在で何度も通ったタイ寺院のビュッフェ。静かな境内で美味しいタイ料理、インドの喧騒を忘れる居心地のよい空間である。

1月23日
金剛般若経』の講伝と白弁才天の許可灌頂。文殊菩薩(ヤマーンタカは文殊菩薩の忿怒のお姿)と弁才天の行とお加持によって、般若経の理解が飛躍的に高まるとのご配慮でお授けくださった。灌頂の前行が行われ、その後に法話、最後に灌頂という順に進んだ。この日は経典の本文がメインであり、法王様は繰り返し空の見解についての解説をなされた。しかし一度聞いただけではなかなか理解が追いつかないので録音をゆっくり聞きながら理解を深めたいと思う。
この日はブッダガヤを発つ日でもあり、時間的に法話を最後まで聞けるか分からなかったが11時半には終了したので法話も灌頂も最後まで参加することができた。
その後は電車でパトナへ向かおうとするも電車が1時間待っても来なかったためタクシーで移動。2300ルピーで4時間ほど。時間に余裕をもたせておいてよかった。夕方の便でデリーへ飛び、翌日のフライトに備えてホテルに一泊。明日からネパールである。

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金剛法座に礼拝するテーラワーダ僧と信徒。

ダライ・ラマ法王御法話・灌頂@ブッダガヤ1

1月15日
お昼過ぎにギュメ寺を出発しマイソールへ。バスターミナルのビル内にある安ホテルに宿泊。

1月16日
朝7時発の直通バスでバンガロール空港へ向かい、そこからビハール州の州都パトナへ。到着したのは午後6時ごろ、既に日は傾き霧が立ち込めていて肌寒い。北インドの冬を感じつつ、予約していた宿へ移動。しかしここでまさかの外国人宿泊不可。だったらネット予約に書いておいてほしい。向かいの宿なら泊まれるということだったので指定されたホテルに行くが、やはりダメ。大通り沿いのホテルなら大丈夫だというのでさらに何件が訪ねるがはやり外国人不可とのこと。結局、安宿は諦めて中級ホテルに宿泊。中級だけあってちゃんとお湯が出る。四ヶ月ぶりのお湯のシャワーを浴び、歩き疲れたこともあり夕食はルームサービスで済ませた。

1月17日
パトナ駅から列車でガヤーへ移動。ひどい混雑の上、インド人は並ばない。列車がホームに来た瞬間、窓からタオルや服などを投げ入れ席を確保したり、まだ降りている人がいるのに無理やり乗り込んだりする。しかし躊躇していると乗れないのでその押し合いに参加しなければならない。なんとか乗車し途中からは座ることもできたが朝の埼京線状態で3時間半はつらかった。もう二度と普通電車には乗らない。(前もそう誓ったのにまた乗ってしまった。)
ガヤー駅からブッダガヤーまでリキシャで移動し、予約しておいた仏心寺さんへ。荷物を置いて登録証を作りに行く。登録受付でギュメ寺の学校の校長先生に会う。その後、大菩提寺にお参りし、地理の把握のためにブッダガヤーの街を散歩する。ダライ・ラマ法王の法話だけでなくニンマ派のモンラム(祈願祭)も行われていたためチベット街かと思うほどチベット人が多い。宿坊へ戻ると仏心寺の御住職S師がいらっしゃったのでご挨拶。日本からの皆さんはリゾン・リンポチェの御法話に行ったとのこと。知ってたら一緒に行きたかったのだが、タイミングが合わなかった。その後、夕方に皆さんが戻って来られて翌日からの灌頂の情報確認に参加させていただく。驚いたのは種智院の授業で一緒だったNさんがいたこと。Nさんのご紹介もあり、皆さんとご一緒させていただくことに。感謝。

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マハーボーディテンプル(大菩提寺)周囲はチベット風の装飾であふれている。

1月18日
十三尊ヤマーンタカの灌頂1日目。朝6時に宿坊を出るも、実は会場がよくわかっておらずとりあえず大菩提寺方面へ。大菩提寺をうろうろし、通行人にたずねてみるもどうも会場はここではないらしい。ゲート13だと聞いていたが、そもそも大菩提寺にはそんなにゲートがないし広場もない。外に出て小銃を持ったひとに聞いてみるとカーラチャクラ・グラウンドだといって場所を教えてくれたのでそちらへ向かい、無事日本の皆さんのいる席に辿り着く。尚、会場へは携帯電話の持ち込みが禁止されているため宿坊に置いたままであり、連絡はもちろん、時計を持っていない私は時間すらわからなかった。さすがに時計くらいは買おうと思った。
ダライ・ラマ法王は入道場された後、しばらく準備の行をなさり、その後、登壇なさって灌頂が始まった。いつもの通り、法話を交えながらの灌頂であるが、今回は様々な宗派の人たちが集まっていたため超宗派的な話題が多かったように思う。クシャ草とスンドゥ(御守の紐)が配られお昼には終了。クシャ草は夢占いに使った後も捨てずに取っておいて、見るたびに灌頂のときのことを思い出すのが良いとおしゃられた。私は今までお焚きあげしていた…。
その後みんなで会場近くのミャンマー・タイ料理のお店で昼食。通訳のMさん、韓国のCさんも合流し、食事後は前日のリゾン・リンポチェのご法話ラマチューパについての説明会が行われた。

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菩提寺境内ではニンマ・モンラムが行われており大勢のチベット僧が読経したり五体投地したりしている。

1月19日
十三尊ヤマーンタカの灌頂2日目。この日は午前午後の予定であったが午前のみに変更され、開始時間が早まった。それとともに20日に予定されていたチャクラサンヴァラの灌頂は中止とのアナウンスがあった。実はこのチャクラサンヴァラの灌頂が今回の主目的だったので残念ではあったが、一連のヤマーンタカの灌頂もこの後のご法話もすばらしいもので、その残念さはすぐに消え去った。
また、今回は灌頂の誓約が少し厳し目で、前日も中国の人が「守れそうにないから灌頂をうけるのはやめておく」と言っていたくらいである。我々に入ってくる情報も交錯しており、定められた行の時間があまりに長くなりそうならやめておこうと思ったがギュメの先生に詳しく尋ねてみて、なんとかできそうな範囲だったので受法することに決めた。

1月20日
この日は中休み。洗濯をしたり買い物をしたり。ホコリと寒さで喉をやられていたのであとは部屋でゆっくりしていた。

ダライ・ラマ法王の灌頂@セラ寺

12月19日
学生たちは既に出発していてユンテン先生と二人での昼食時。20日の灌頂は朝10時からときいていたので当日出発予定の旨を伝えると先生は「私は今日行くよ。7時半から前行があるので朝早く行ったほうがいい。君の都合が付くなら今日行こう」と言われ急遽ホテルを予約。セラ寺のあるバイラクッペはPAP(制限区域滞在許可)が必要だが私は許可を持っていないので隣町クシャルナガルの安宿(一泊Rs.850)を予約。夕方出発しタクシー、バス、リキシャと乗り継ぎ2時間ほどでホテルに到着。翌日の出発時間を5時に設定し、先生はバイラクッペへ。その日のうちにセラ寺に行くのかと思いきや「お偉いさんがいっぱいで気疲れするので別の宿に泊まる」と笑っていた。その後ホテルの近くの食堂で夕食を食べていると先生から電話があり「バイラクッペの宿が満員だったからやっぱりそっちのホテルに泊まる」とのこと。先生は宿の予約していなかったらしい。そして私の泊まっているホテルに到着した先生はフロントで交渉してWEB予約割引の私よりさらに安い額で泊まることに成功。流石である。朝5時出発ということで20時には就寝。

12月20日
朝4時前に起床。さすが安宿、ハウスダストだかカビだかのモーニングアタックでくしゃみを連発しながらも朝の勤行を済ませて出発。携帯電話を含む電子機器類は持ち込めない可能性が高いということですべて宿に置いていく。リキシャで20分ほどでセラ寺チェー学堂へ。リキシャでの風を切っての移動は寒い。まだ真っ暗の5時半だというのに既に大勢の人が集まり、お堂は電飾と照明できらびやかに照らされていた。僧侶用ゲートから入るときに先生が「彼は日本の僧侶だから通してくれ」と言ってくれたのですんなり入場できたが、おそらく一人だと一般ゲートの長蛇の列に並んでの入場になっただろう。会場でも中央付近の僧侶席に座らせてもらえた。
この日の灌頂はセラ・チェー学堂の守護尊タムディン・ヤンサン(最秘密馬頭尊)の大灌頂。当初、昼休みを挟んで午後まで行う予定になっていたが、前倒しで始まり、午前の終了予定より1時間延長の12時半で灌頂をすべて終えて解散となった。昼食を食べて宿に戻り、その後は部屋でゆっくり過ごす。

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タムディン・ヤンサン。セラ寺チェー学堂問答場の壁画。

12月21日
朝5時起床。前日と同じく勤行を済ませて6時に出発。が、予約していたリキシャが来ない。仕方なく別のリキシャで会場へ向かうも、途中でガソリンスタンドに寄ったり運転手の用事に寄ったりで随分時間がかかっての到着。やはり電子機器類は持ち込めないので荷物を会場近くの僧侶宿舎に預かってもらい会場へ。この日はセラ・メー学堂の新しい問答場の落慶式。到着が遅くなったのでこの日は会場の最後列。それでも問答場所の中央の僧侶席である。落慶式ではロプサン・センゲ主席大臣の挨拶や仏教以外の宗教の指導者からの表敬なども行われた。その後の御法話はツォンカパ大師の『縁起讃』。やはりまだ聞き取るのは難しい。先生は「この法話は後でCDになると思うから買うといい」とおっしゃってくれた。恥ずかしながら『縁起讃』は読んだことがなかったのでこれを期に読むことにする。御法話は短めで11時半には終了。その後、会場から人が減るのを待って御宝座へのお参りと問答場の見学。見事な壁画が描かれており、中央はお釈迦様、向かって左にツォンカパ大師と二大弟子、右はおそらくセラ・メー学堂関係の祖師。広大な問答場にはその他に文殊菩薩白傘蓋仏頂、それらの眷属衆や護法尊、二十一尊ターラー、インドの論師方、懴悔三十五仏などが描かれている。珍しいものではダライ・ラマ14世猊下の伝記をタンカ風に描いたものが複数あり、誕生からチベットでの出来事、毛沢東との会談、世界各国での法話の様子なども描かれていて面白い。前述の通りこの日はカメラを持ち込めなかったため、後日再訪して写真を撮りたい。見学後、先生は親戚や知人に会いに行くというので別行動することになり、私は疲労と人の多さで買い物するのを諦めてそのままギュメ寺への帰路についた。

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セラ・メー学堂

 

ギュメでの日常

ここのところ、学生の遠足(?)はあったのですが行き先がバイラクッペで前行った所ばかりだったので特に書くこともなく更新が滞っていました。特別なことがあったときに更新しているので遊んでばかりに見えますが、普段はごく普通に授業を受けています。そんな普段のスケジュールはこんな感じ。

7:00 学生の朝勤行に参加。『現観荘厳論』一章の読経と20分ほど先生の法話
7:45 朝食。毎日チャパティとお茶。甘いお茶だったりバター茶だったり。
10:30 授業その1。ユンテン師のチベット語文法と仏教用語
12:00 昼食。ご飯と野菜炒めや豆カレー、トゥクパ(麺類)などが多い。
13:30 授業その2。ジクメ師のチベット語日常会話。
18:00 夕食。お昼とあまり変わらない。

授業はそれぞれ1時間、これ以外の時間は自由時間なので勤行や自習、掃除洗濯などをしています。ただこの日程も固定的ではなく、学生の状況によって変わります。ギュメ寺の附属学校はチベット人子弟がチベットの言語・文化・歴史・仏教を学びに来るところになっているようで、現在は10名ほどの若い学生が滞在しています。その学生たちも12月末で修了のため、また1月からは授業日程などが変更になると思われます。彼らは決まったカリキュラム・時間割があるのですが、私のような個別で来ている者はその都度、学習内容や先生の都合にあわせて授業を組んでくれます。

食事は寮で三食作ってくれる、浄水器があるので水は買わなくても大丈夫。開いている時間は限定されるけれど食品や雑貨を売っている売店と食堂もあり。学生寮は部屋ごとにバスルームが付いていて、トイレは洋式でおそらくトイレットペーパーも使えます。私はインド式でしているのでペーパー流したことはありませんが…。尚、ウェブサイトにはホットシャワーありと書いてありますが出ません(笑)インターネット回線はないため各自でSIMカード契約の必要あり、しかし電波が不安定で、つながらないこともよくあります。

滞在費は月6000ルピー。これには宿泊費、食費、授業料が含まれています。インド的にはそんなに安くはないとは思いますが、この環境でこの料金なら半年日本で働いて半年こちらで勉強というのも悪くない気がします。
皆さんもいかがですか?

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滞在している部屋。電源や照明の位置の関係で変な机配置になっています。バスルームへは奥のベランダから行きます。

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買い物後日談

前回のブログでヤマーンタカ一尊成就法のペチャを購入したと書いたのですが、帰ってから中身を斜め読みしていると違和感が。チベット語は完全に読めるわけではないので適宜飛ばしながら、主に真言の部分を読んでいました。そうすると、お供物の加持を行うところでの真言がどうもヤマーンタカのものとは違うような・・・。不思議に思いながらも読み進め、本尊生起の部分へ。ここで本尊の姿が詳しく述べられるのですが、よく読んでみると「仏頂尊勝」と書いてある。

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ヤマーンタカと仏頂尊勝って何か関係あったっけ?と思いながら表紙に戻り表題をもう一度見る。確かにヤマーンタカのものである。表紙をめくる。

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なんともう一枚表紙があるではないか!

仏頂尊勝成就法』

はい。表紙だけヤマーンタカで中身は仏頂尊勝でした!

ちなみに私は仏頂尊勝の灌頂を受けていないので成就法を行うことができません。その話を先生にしたところ「そういえば渡すの忘れてた」と、短いヤマーンタカ一尊成就法のペチャをいただきました。長いのもあるけど、とりあえずこれをやるといいとのこと。