テンジン・ケンツェのブログ

南インドのチベット寺院での日々。

布薩に参加

受戒以降、ギュメに戻ってからというもの月に2回ある布薩に参加しています。布薩は僧侶が半月ごとに戒律を確認し、破っていた場合には懴悔(さんげ)して浄化する儀式です。
本日は年に4回ある大布薩。通常の布薩は別解脱戒のみを扱うのですが大布薩のときは菩薩戒と三摩耶戒の浄化作法も行います。これはギュメ寺以外ではほとんど行われていないとのこと。
通常の布薩は1時間ほどですが、大布薩の日は早朝からグヒヤサマージャの儀式があり、その後に2時間半ほどかけて大布薩が行われます。
沙弥は比丘の布薩の途中で入って沙弥の作法が終わったら退出しますが、比丘はそのまましばらく作法が続きます。
 沙弥布薩は最後に三人一組で行う作法があり、不慣れな外国人のおっさんである私はいつも戸惑ってしまいます。しかし毎回誰かしら組に誘ってくれるので大変助かっています。今日は10歳いかないくらいの小さい子が「いっしょに行こ」と誘ってくれました。小さい頃から慈悲心、親切心が育まれていることに感動します。

不非時食のこと

本来、出家僧は戒律により午後から明朝の夜明けまでは食事をしないことになっています。これを不非時食といい、東南アジアのお坊さんは厳密に守っている方が多いですが、大乗仏教圏ではそれほど重要視されておらず、チベットのお坊さんでも守っている人はそれほど多くないと聞いています。

私は3月6日に沙弥戒を授かりましたが、そのときに知人から「慣例では授戒から一週間不非時食にするのがよい」と聞いていたため、その日から不非時食を始めました。日本で四度加行に入っていたときも不非時食だったので、それほど苦痛でないことは体験済みでしたし、実際に今回も大丈夫だったので一週間で終えずに続けています。心配だったのは栄養とカロリーの不足、特にタンパク質が不足することが予想されました。ダラムサラ滞在中はレストランもたくさんあり、また私はベジタリアンではないのでモモ(蒸し餃子)や肉入りのトゥクパ(スープヌードル)などを食べてタンパク質を補給できていたのですが、問題はギュメ寺に帰ってからの食事でした。

ギュメ寺では肉食は禁じられてはいませんが、お寺で作る食事は菜食です。朝は甘いパンとバター茶、昼は野菜のおかず一品に甘くないパン、夕方はダル(豆)カレーにご飯が定番です。この夕食の貴重なタンパク源を抜くということにいささかの心配があったのですが、一ヶ月経った今でも特に問題なく過ごせているどころか、寝起きなどはむしろ調子がいいくらいです。なので、このまま様子を見ながら続けて行こうと思っているのですが、ずっと続けるにあたっては少し緩めて下記のようにしようかと思っています。

 ・昼食は12時を超えても気にしない。
 寮の昼食が大体12時からなので。でも遅くとも13時くらいまでには終えたい。

 ・午後は少量のお茶菓子程度ならOK、牛乳もOK
 戒和尚であるダライ・ラマ法王がそうなさっているようなので。

 ・日程や労働上、難しいときは夕食OK
 移動や仕事で昼食がとれないとき、肉体労働等で著しくカロリーを消費したとき。

 ・会食のときは夕食OK(検討中)
 断れない会食、たまの父母や祖父母との食事など。もちろんお酒は飲みません。

 

「甘い!」と思われるかもしれませんが、いまのところこんな感じで続けていけたらと考えています。ご意見等ありましたら是非お聞かせください。

お数珠の話

もう暫く前のことですが、数年使っていた数珠が切れてしまいました。ネパールで買った安価なものだったのもあり、これを期に新しい数珠を一連買おうと、ギュメ寺の先生に数珠について質問してみました。
先生は「基本的にはあまりこだわらなくていいが」と前置きをした上で以下のような話をしてくださいました。

四事業(四つの目的、息災・増益・敬愛・調伏)にあわせてそれぞれ、息災なら水晶や白い貝、増益なら金や銀、敬愛なら赤い白檀や赤い珊瑚、調伏ならルドラアクシャ、などと説かれている。しかし、菩提樹(ボーディ)であれば四事業すべてに用いることができる。

珠の数も様々に説かれ、一般的には108珠であるが111珠なら尚よい。余分の8や11は補闕分(真言100返中、気が散っていたり間違ったりしたものを補うために付け足すもの)である。111なのは、100の一割の10と、その10の一割の1で111。数珠一周で真言100返と計上するが、実際には111返唱えることになる。これを用いるならば、さらに補闕分を付加する必要はない。(通常、真言10万返など唱える行の場合に、規定の回数を達成した後、一割ほど追加で唱える習慣がある)

と、いうことだったので菩提樹の数珠を求めることに。しかし、ご存知の方も多いと思いますが日本では様々な素材に菩提樹という名が冠されています。星月菩提樹、金剛菩提樹、天竺菩提樹・・・等など。先生に菩提樹の数珠を見せてもらい、また韓国の友人に確認してみた所、チベットで言う菩提樹は鳳眼菩提樹(含、龍眼・虎眼)だということが判明。また、その代用品としてラクトゥという安価な素材もあるとのこと。

 

さて、ブッダガヤにて上記の友人が紹介してくれたお店で無事に菩提樹の数珠を入手。近年中国で菩提樹の数珠が人気のため値段が高騰しているとのこと。菩提樹は珠が小さい方が希少で高価。またネパール産は珠の形がよく、なめらかなので高価、インド産は形が歪で凸凹が多いので比較的安価です。私が求めたものはインド産で3千円くらいでしたが、同サイズで品質のよいネパール産だと35万円(!!)だそうです。

購入したものは菩提樹のみの108珠だったので珊瑚の珠を3つ買って加えました。一般的には27珠ごとに入れるのですが、私は自分の実用にあわせて、ひとつを片側7珠の後、ふたつを両側の21珠の後に入れて仕立て直してもらいました。

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菩提樹の数珠

購入後は毎日マハーボーディ寺院のお参りに持参し、大塔のお釈迦様や観音様、ターラー尊、金剛法座のお加持をいただき、受戒のときにはダライ・ラマ法王からもお加持していただきました。チュシン(小さい10珠のカウンター)や数珠の間に付けられる金具は取り外し可能なので自分の使いやすいようにカスタマイズできます。特に決まりはないのでチュシンをじゃらじゃらと沢山つけている人もいます。

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左からラクトゥ・菩提樹・加工した菩提樹

ラクトゥはサイズも品質も様々、安いものは100円ほどで買えます。マハーボーディ寺院の門前などでは大きめのラクトゥを菩提樹と偽って法外な値段で売っている行商人もいるのでご注意。削って形を整えてある菩提樹は未加工品より安価。

 

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桜尺二片寄

おまけ。私の使っている日本の数珠です。以前働いていたお寺の境内の桜で作った数珠。

 

以上、ご参考までに。

沙弥戒受戒の顛末

FBではお知らせしましたが、去る3月6日、ダライ・ラマ法王猊下より沙弥戒を賜りました。そこで、出家者となる決心をしてから実際の受戒完了までの紆余曲折を記録しておきたいと思います。

 

2018年中頃:出家を決意し、ギュメ寺の先生に相談する。
私が仏教に信仰を生じたきっかけのひとつは、学部生のときインドの密教行者の説話集『八十四成就者伝』を読み、在俗行者の道があることを知ったことでした。それから数年後、日本で僧侶になるご縁がありましたが、僧侶とは姿のみで俗人と同様の生活をしていました。そのため、当初は出家修行者となるつもりはなく「自身はガクパ(在家密教行者)である」との意識でいました。
しかし、戒律を守り、勉学に励み、明るく親切なギュメ寺のお坊さん方に囲まれて生活するうちに、次第に自分も彼らのようになりたいという気持ちが生じてきました。ただ、インドにいる間はともかく、日本に帰ったときにも戒律を守ることができるかを悩みました。結婚するつもりはなかったし、やめられない趣味もとくになかったのですが、恥ずかしながらお酒にだけ未練がありました。しかし友人・知人からたくさん助言や励ましを頂いた結果、それも断ち切ることができました。
そこで、いよいよ先生に相談したところ快諾してくださり、ロサル(チベット暦の新年)に法王様から受戒できるよう書類を用意してくれることとなりました。

 

12月:書類を提出。
ブッダガヤにて法王様の御法話・灌頂のためにいらしていたプライベートオフィスの責任者のリンポチェに書類を提出するも「比丘戒の授戒は問題ないが、最近は法王様は沙弥の授戒はしていない。ロサルの定例授戒までにどこかで沙弥戒を受けてくるように」とのことでした。

2019年1月末:授戒会のお知らせがある。
その後、先生が各方面に沙弥戒の授戒ができないか問い合わせてくださったのですが、なかなか見つからず諦めかけていたところ、ダラムサラにて今回は法王様が沙弥戒・比丘戒の両方の授戒会を行うと発表されました。

 

2月末〜3月初頭:授戒申し込みと説明会。
ここからがまた勝手がわからず大変でした。何度かプライベートオフィスおよび責任者のリンポチェに問い合わせをしたところ、ギュメの先生が書いてくださった書類の他に私自身の身上書が必要だということで、急遽、先生に連絡し、チベット語にて書いていただき、なんとか提出。(実は最初の書類だけでちゃんとエントリーされていたので二重登録になっていた模様…)
その後の1回目の説明会にて沙弥戒は問題ないものの、比丘は180人枠に500人申し込みがあったので優先者および先着者で200人のみとのアナウンスがある。
翌日2回目の説明会にて、法王様のご意向で日程を延長して希望者全員に授けるとの発表がなされる。そこでリンポチェに確認したところ、人数が多いので今回沙弥戒を受けるものは比丘は次の機会にとのことだった。説明会の後に同じく沙弥戒・比丘戒を希望していたベトナムの僧侶さんともう一度リンポチェにお願いしてみたが、やはり今回は沙弥のみとのことでした。

3月6日:沙弥授戒。
朝6時半に集合しポタン(法王様の邸宅)に入る。総勢70名。集会場にてお茶とデーシ(甘いごはん)が振る舞われ、いくつか説明があった後、法王様がいらっしゃり短い挨拶をして別のお堂に移動。授戒会が始まり、頭頂に残した毛を切ってもらう、法名をいただく、法衣のお加持をしていただくなどの所作がありましたが、すべて横で指示してくれる方がいたので困ることはありませんでした。最後に法王様にカターを差し上げて記念写真の撮影。尚、このときの写真をいただけるようにお願いしているのですが、まだ入手できていません。
集会場にもどり昼食の後、解散。晴れて沙弥となることができました。

 

3月14日:驚愕のオチ?
3月12日に飛行機を予約していたので、帰路に着く。翌13日の朝ギュメ寺に帰り着きました。そしてギュメでの日常に戻った14日。今回の一連の授戒でとてもお世話になったダラムサラ在住の友人Yさんから「日本人の申込者がまだ滞在しているなら14日の授戒者の名簿に入れる、とアナウンスがあったそうです」とのメッセージが。
「えー、今回は無理って言われたから帰ってきちゃったよー」と思ったものの、飛行機をキャンセルしてまで滞在延長するのは考えていなかったどころか、なんならキャンセルして早く帰ろうかと思っていたし、もしチケットを買っていなかったとしても沙弥授戒後すぐ帰っただろうし、万一滞在していたとしてもギュト寺の法話に行ってただろうし、そもそもそのお知らせが友人に届いたのが14日の午後だったので、どう考えても受けられていなかったのでした。
尚、比丘戒は来年のロサルには受けられるとのことです。

 

以上、大変な紆余曲折がありましたがなんとか沙弥戒を授戒できました。ギュメの先生、ダラムサラで協力してくれたYさん、助言や応援をしてくださった皆様に感謝申し上げます。また、その恩に報いるべく、これより生涯、戒律を堅持し精進いたします。

忿怒尊供養

本日は忿怒尊があった。前日も行事があったらしいが見学したのはこの日のみ。本堂横の問答場での読経の後、本堂前にて煮立った油を炎上させる儀式、続いて参道横の広場に移動。法要中、下座に置かれていた木製の骸骨人形を薪の山に投げ込み点火。薪には爆竹が仕込まれているようで爆発音が鳴り響く。

何の儀式なのかよくわからず書ける内容が少ないので、以下写真と動画をアップロードしてごまかしておきます(笑)

最初になにかを投入している方は僧院長。その後は水をかけて爆発を起こしていた。何が起こるのかわからず前の方にいたのでちょっと危険だった。

骸骨の人形は燃やされてしまいました。災厄や魔の依代でしょうか?動画ではポンポンと軽い音がしていますが、実際にはかなりの爆発音がしていました。

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法要会場。骸骨人形が目立つ。安定が悪いようで僧侶が交代で台を支えていた。

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道場から広場へ移動する僧列。

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暇をもてあました少年僧にいじくり回される物売のおっちゃんと子犬。

バイラクッペでお買い物

前回の記事からしばらく開いてしまいました。実はヤマーンタカの灌頂の翌日、緑ターラーの許可灌頂があったのですが灌頂の中身以外はそれまでの法話や灌頂とほぼ同じ行程だったためブログに書けるほどのネタがなかったのです。

さて、ギュメ寺では10月19日から一週間、秋の休暇期間に入っています。もっと早く日程を知っていれば仏跡参拝かネパール旅行に行きたかったのですが、今回は間に合いませんでした。しかし折角のお休み、しかも雨季が終わり良い気候になってきたのでバイラクッペへ買い物に行きました。

イラクッペはギュメ寺からリキシャとバスを乗り継いで2時間ほどの場所にある南インド最大のチベット人居留区で、セラ寺、タシルンポ寺、ニンマ派のナムドルリン寺(通称ゴールデンテンプル)などが立ち並ぶ町。ギュメ寺の先生が言うには、ギュメ周辺には仏具店も仏教書店もないので、それらが必要なときはセラ寺周辺で購入するとのこと。

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鈴杵セット(Rs.2500)、ペチャと本(全部でRs.260)、ペチャを包む布(Rs.100)、香炉(Rs.160)

朝8時にリキシャを予約していたが時間を過ぎても来ない。何度か電話をして結局来たのは9時。インド時間炸裂。リキシャで最寄りの町フンスールまで30分、そこからバスに乗りバイラクッペに向かう。この日はバスの車内も道路も空いていて、途中のバスターミナルでの10分間の休憩を含めても1時間で到着。バイラクッペに里帰り中の友人(フランス在住)とその従姉妹と合流し、まずは金剛杵と金剛鈴を買うためにお店に連れて行ってもらった。仏具屋というほど品揃えが良いわけではなかったが、まずます満足できる品質と値段の鈴杵があったので購入。カパーラも欲しかったがその店にはなく、店主に聞いても「この辺ではあまり見ない」とのことだった。

そこからセラ・ジェ学堂付近へ移動し、衣屋さんで袈裟を見せてもらう。黄土色、黄色、オレンジ色などいくつか色違いがあったので上衣と大衣で同じ色のもの購入しようとしたが、店員の僧侶さんに「上衣と大衣は違う色にするのが普通だよ」と言われたので黄土色とオレンジ色のものを購入。もちろん私はチベット僧でも比丘でもないので使用するためではなく、参考資料。いつか使う日が来るかもしれませんが(笑)その後、すぐ近くにあるセラ・ジェ図書館付属の書店へ行くも11:30〜14:00は昼休みとのこと。尚、セラ寺のお堂もお昼時間は閉まっている模様。仕方がないのでバイラクッペ一番の観光スポット、ナムドルリン寺へ。ここは参拝者だけでなくインド人観光客も大勢いる。しかし7月に来たとき工事中だった本堂はまだ工事中で今回も入れなかった。唯一開いていたターラー堂にお参り。

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七条上衣(Rs.1400)と二十一条大衣(Rs.1650)

昼食はローカルレストランでチベット料理をいただく。インドに来て初めて豚肉を食べた。マイソール周辺はイスラーム教徒が多いせいか豚肉の扱いが少なく、肉屋でもヤギか鶏がほとんど。料理は美味しかったが結構塩辛い。食後はレストラン横の池を散歩。この池の魚はダライ・ラマ法王の御長寿を願って放生されたもので保護されているらしい。池のほとりに立つと鯉が集まってくる。鯉の餌用のビスケットも売っている。日本でおなじみの光景はインドにもあった。

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じゃがいもと豚肉炒め、青菜と豚肉炒め、煮豚。手前はティモ(蒸しパン)全部でRs.350

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群がる鯉。たまにナマズが混じっている。

そうこうしている間に14:00を回ったので再び書店へ。店員さんに色々尋ねながら『ヤマーンタカ一尊成就法』と『ガンターパ流チャクラサンヴァラ成就法』のペチャ、『中論ブッダパーリタ註』を購入。『チッタマニターラー成就法』も欲しかったが品切れ中だった。これで今回の買い物は終了。ペチャや衣の品揃えは満足だったが、仏具に関してはやはりネパールで求めるほうがよさそう。

ネパール旅行3

1月28日
後輩も回復したので前日行く予定だったダッキンカーリー寺院へ向かう。道中は酷い悪路。以前より道の状態が悪くなっているようだ。この日はお参り日の翌日ということで参拝者は少なく閑散としていた。そのおかげか、以前は本堂の柵内に立ち入ることができなかったのだが今回は入ってよいということだった。何度も来ているが始めて御本尊を間近に見ることができた。柵内では撮影禁止だが、柵の外からなら写真も撮っていいとのこと。生贄の儀式は火曜日と土曜日に行われることが多いとのことだが、本堂内の神像をじっくり見ていると本堂裏から鶏の断末魔が…。仏教徒としては殺生には反対だが、ネパール文化好きとしては全面反対とはいえないし、貧しい人たちのなかには生贄を捧げるときにしか肉を食べられない人もいて、生贄日は家族や親戚揃ってのご馳走の日でもあるという。そういえば昨日ヤギを捧げていた家族の少年も嬉しそうな表情をしていた。この寺院では生贄が多いため、本堂の近くに肉屋さんスペースがあり、そこで捧げた後の動物を解体してくれるサービスもある。本堂は川沿いにあり、そこから丘へ上ったところにはマーター(母)と呼ばれる女神のお堂がある。マーター堂は建物が壊れており、仮の簡素な囲いのみだった。

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ダッキンカーリー寺院本堂、奥の赤いズボンの女性が拝しているのが本尊カーリー女神。

次に向かったのはパルピン村のヴァジュラヨーギニー寺院。山の斜面にある小さな寺院には、1階は赤観音のお堂になっていて、2階にヴァジュラヨーギニー堂になっている。ここの御本尊はビジェーシュヴァリー寺院のアーカーシャヨーギニーと非常によく似た姿をしているが、こちらは特別な呼称はなく単にヴァジュラヨーギニーと呼ばれる。本尊はやはり衣服と装飾でお顔以外あまり見えないが、お祭りで神輿に乗せるお像はそれらがなく、図像を観察することができた。丁度住職がおられたので話を伺うと、彼はパタンのゴールデンテンプルに所属するヴァジュラーチャーリヤ(世襲の在家僧)だという。私がチャクラサンヴァラの研究をしているというと、彼は大変喜んで「私の念持仏はチャクラサンヴァラで、毎日儀式を行っている」と教えてくれた。
その後、すぐ脇にあるチベット寺院に参拝。ここにはパドマサンバヴァが瞑想したという洞窟があり、入り口には彼のものとされる手形が残されている。また、ターラー堂には岩に自然に現れたというターラー尊がいらっしゃり、参拝者が後を絶たない状態だった。
本日の予定はここまでだったが、タクシーの運転手が道中にある寺院と史跡に立ち寄ってくれた。ナーラーヤナ寺院その名の通りナーラーヤナ(ヴィシュヌ)を祀るヒンドゥー寺院だが、ここにもパドマサンバヴァの瞑想窟があった。その後、マンジュシュリーパークと名付けられた公園へ。ここはカップルがたくさんいて一見するとただの公園なのだが、実はこの脇の谷間こそ、文殊菩薩が利剣で切り開いた場所だという。かつてカトマンドゥは湖であり、文殊菩薩が周囲の山切って水を流し、それが肥沃なカトマンドゥ盆地になったという伝説の地である。崖側は切り立っていて結構怖い。その向かいにはジャル・ビナヤク寺院があり、こちらも本堂は倒壊しておりベニヤ板の仮堂で覆われていた。大きな饅頭型をした岩を金属で装飾した御本尊のガネーシャはふくよかでいかにもご利益がありそう。丁度僧侶(おそらくバラモン)が儀式を行っていた。この日はこれで終了、ホテルに戻った。

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文殊菩薩が利剣で切った谷。

1月29日
月曜日はシヴァ神の日ということで朝からパシュパティナート寺院へ。ここはインド圏の重要なシヴァ寺院のひとつ。まずはすぐ近くのジャヤ・ヴァーギーシュヴァリー寺院へ向かう。この寺院の本尊はジャヤ・ヴァーギーシュヴァリー女神だが面白いのは脇侍。ガネーシャとクマーラだというが、両者ともバイラヴァのような姿をしており、ガネーシャが象頭ではなく人の顔をしている。
その後、パシュパティナート本堂前へ、ここはヒンドゥー教徒しか入れないため門の前まで。人混みの先に巨大なナンディ像のおしりが見える。川沿いの火葬場方面へ回り、まずは映画リトル・ブッダキアヌ・リーブス扮するお釈迦様が降魔成道したシーンに使われた木を見る。周囲はシヴァリンガを祀る石のお堂が立ち並ぶが、その木の近くには観音像と仏足石のようなものがあり、少し先にはゴーラクシャナータ寺院がある。ゴーラクシャナータはハタ・ヨーガの大成者であり、仏教の八十四成就者にも同名の聖者が登場する。本堂の混雑とは裏腹に、火葬場から川向かいの丘はとても閑散としていた。上流側の火葬場を抜けた先には大成就者ティローパとナーローパが修行したという洞窟がある。どちらも一畳もないくらいの小さな石窟だが、ティローパが成就した(覚りを得た)場所であり、ナーローパに灌頂を授けた場所だという。チャクラサンヴァラの系譜の師あり、毎日の行で供養を捧げていることもあり、深く恭敬の念を抱く。入り口は鉄格子の扉になっているが、鍵はかかっておらず管理者は「瞑想してもいいよ」と言ってくださった。今回は後輩と一緒だったので数分お祈りしただけだったが、是非今度は時間をとって瞑想なり成就法なりしたい。行の場所はどこでもいいはずだが、やはり先師方ゆかりの場所はお加持の力があるように思う。その後は下流側の燃燈仏を拝したり小さな寺院を見たりしてお昼には見学終了。昼食にホテル・サンセットビュー内にある蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦をいただく。この日は最終日、翌日はインドへ帰国のため、ホテルに戻り帰りの準備とお土産などの買い物など。夕方ごろ行った仏具屋のおじいちゃんが近所のセト・マチェンドラナート寺院を案内してくれた。

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大成就者ティローパ、ナーローパの瞑想窟。

1月30日
ホテルの精算をし、空港へ。空港まであと少しというところでまさかのタクシー故障。サンクーやらパルピンへの山道を長距離走らせたせいであろうか…。すぐに知り合いのタクシーを捕まえてくれ、またの再開を約束し別れ、無事空港へ。そして私はバンガロール、後輩はプネーへの帰路についた。

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