テンジン・ケンツェのブログ

南インドのチベット寺院での日々。

ダライ・ラマ法王の灌頂@セラ寺

12月19日
学生たちは既に出発していてユンテン先生と二人での昼食時。20日の灌頂は朝10時からときいていたので当日出発予定の旨を伝えると先生は「私は今日行くよ。7時半から前行があるので朝早く行ったほうがいい。君の都合が付くなら今日行こう」と言われ急遽ホテルを予約。セラ寺のあるバイラクッペはPAP(制限区域滞在許可)が必要だが私は許可を持っていないので隣町クシャルナガルの安宿(一泊Rs.850)を予約。夕方出発しタクシー、バス、リキシャと乗り継ぎ2時間ほどでホテルに到着。翌日の出発時間を5時に設定し、先生はバイラクッペへ。その日のうちにセラ寺に行くのかと思いきや「お偉いさんがいっぱいで気疲れするので別の宿に泊まる」と笑っていた。その後ホテルの近くの食堂で夕食を食べていると先生から電話があり「バイラクッペの宿が満員だったからやっぱりそっちのホテルに泊まる」とのこと。先生は宿の予約していなかったらしい。そして私の泊まっているホテルに到着した先生はフロントで交渉してWEB予約割引の私よりさらに安い額で泊まることに成功。流石である。朝5時出発ということで20時には就寝。

12月20日
朝4時前に起床。さすが安宿、ハウスダストだかカビだかのモーニングアタックでくしゃみを連発しながらも朝の勤行を済ませて出発。携帯電話を含む電子機器類は持ち込めない可能性が高いということですべて宿に置いていく。リキシャで20分ほどでセラ寺チェー学堂へ。リキシャでの風を切っての移動は寒い。まだ真っ暗の5時半だというのに既に大勢の人が集まり、お堂は電飾と照明できらびやかに照らされていた。僧侶用ゲートから入るときに先生が「彼は日本の僧侶だから通してくれ」と言ってくれたのですんなり入場できたが、おそらく一人だと一般ゲートの長蛇の列に並んでの入場になっただろう。会場でも中央付近の僧侶席に座らせてもらえた。
この日の灌頂はセラ・チェー学堂の守護尊タムディン・ヤンサン(最秘密馬頭尊)の大灌頂。当初、昼休みを挟んで午後まで行う予定になっていたが、前倒しで始まり、午前の終了予定より1時間延長の12時半で灌頂をすべて終えて解散となった。昼食を食べて宿に戻り、その後は部屋でゆっくり過ごす。

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タムディン・ヤンサン。セラ寺チェー学堂問答場の壁画。

12月21日
朝5時起床。前日と同じく勤行を済ませて6時に出発。が、予約していたリキシャが来ない。仕方なく別のリキシャで会場へ向かうも、途中でガソリンスタンドに寄ったり運転手の用事に寄ったりで随分時間がかかっての到着。やはり電子機器類は持ち込めないので荷物を会場近くの僧侶宿舎に預かってもらい会場へ。この日はセラ・メー学堂の新しい問答場の落慶式。到着が遅くなったのでこの日は会場の最後列。それでも問答場所の中央の僧侶席である。落慶式ではロプサン・センゲ主席大臣の挨拶や仏教以外の宗教の指導者からの表敬なども行われた。その後の御法話はツォンカパ大師の『縁起讃』。やはりまだ聞き取るのは難しい。先生は「この法話は後でCDになると思うから買うといい」とおっしゃってくれた。恥ずかしながら『縁起讃』は読んだことがなかったのでこれを期に読むことにする。御法話は短めで11時半には終了。その後、会場から人が減るのを待って御宝座へのお参りと問答場の見学。見事な壁画が描かれており、中央はお釈迦様、向かって左にツォンカパ大師と二大弟子、右はおそらくセラ・メー学堂関係の祖師。広大な問答場にはその他に文殊菩薩白傘蓋仏頂、それらの眷属衆や護法尊、二十一尊ターラー、インドの論師方、懴悔三十五仏などが描かれている。珍しいものではダライ・ラマ14世猊下の伝記をタンカ風に描いたものが複数あり、誕生からチベットでの出来事、毛沢東との会談、世界各国での法話の様子なども描かれていて面白い。前述の通りこの日はカメラを持ち込めなかったため、後日再訪して写真を撮りたい。見学後、先生は親戚や知人に会いに行くというので別行動することになり、私は疲労と人の多さで買い物するのを諦めてそのままギュメ寺への帰路についた。

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セラ・メー学堂